フランス語学科同窓会 上智大学フランス語学科同窓会問題(個人情報無断漏洩 及び 風間烈同窓会会長の虚偽対応) 学部・学科の動き

上智大学フランス語学科同窓会による個人情報無断開示事件(42)

(承前)

学生時代、1998年後期のある日の夕方、フランス語学科の翌年度のゼミ履修に関わる説明会が開かれ僕も出席しました。
この時、説明役だったのが、本稿にもたびたび登場するフランス語学科同窓会会報編集人の中村雅治・上智大学名誉教授(当時は現役の教授)。

学生たちの集まった教室で、中村雅治氏は開口一番、
「うちの学科のゼミは、全ての先生が開講しているのではありません。やる気のある先生だけが開講します」

刹那、会場は静まり返ってしまい、少し間を置いてから、さざ波のようなどよめきが起きたものでした。
中村雅治氏は、いったい何の為に、何を志して、学生たちを相手に、このタイミングをわざわざ選んで斯様な発言に及んだのか、僕にはさっぱり理解できませんでした。

ゼミを開講していない同僚たちを、本人の面前ではなしに、不特定多数の学生たちの前でこき下ろしたくて仕方がなかったのか、そして、当時の専任教員でゼミをされていなかったのは女性の先生2名でしたから、中村雅治氏はゼミの話を出しにして、女性差別をなさりたかったのか。そうだったのだとすれば、圧倒的に女子の多い学科でずいぶんとナイーブで能天気なご発言に思えますし、あるいは能天気などではなくむしろ積極的な意図をもって、男の俺のほうが偉いんだぞ、とある種のマチズモを誇示したくて仕方がなかったのか。

ゼミを開講しない理由について、聞き手が本人の意思を確かめようもない状況で、やる気がないなどと一方的に貶めてみせるのは、年下に対するパワハラ、そして異性に対するセクハラの類いでしかないと思えましたし、随分と趣味の痩せた人物だなぁという印象は拭えませんでしたが。

ところで、僕はこの頃、外国語学部でPCを用いた語学教材を開発するプロジェクトに携わっていて、学生の立場でありながら、先生方と一緒に教材づくりに取り組んでいました。
ゼミ説明会の当日、僕はフランス語学科の先生方と教材開発の打ち合わせを予定しており、説明会があるからと時間を遅らせてもらっていました。そして、僕が待たせていた先生方というのが、よりにもよって中村雅治氏が「やる気がない」と蔑んでみせたその2名だったのでした……

僕とて、勇んで告げ口をしようとは思いませんでしたが、打ち合わせに赴いて
「ゼミの説明会、どうだった?」
と聞かれれば、そこで起きたことを話さざるを得ません。

中村雅治氏の科白をそのまま取り次ぐと、お二方の表情はみるみるうちにこわばり、
「私たちは専任になって日が浅いという理由で学科の雑事を押しつけられることも多いのに、それで『やる気がない』だなんて…… しかも学生の前で陰口を言うなんて…… どういうつもりなのかしら……」
と、呆れとも怒りともつかぬ顔をされていたを覚えています。

その後、中村雅治氏が己の差別発言について抗議を受けたとか、謝罪したといった話はついに聞きませんでしたから、年上で先に専任になった先生だからといった力関係を笠に着て、言われた側の先生たちは泣き寝入りを強いられたということなのか、あるいは、中村のような気違いの繰り言をいちいち相手にしても無駄だから、放置してテキトーにお付き合いしていれば良いという判断に至ったのか、どちらにせよ、このパワハラセクハラおじさん・中村雅治氏には何のお咎めもなかったものと想像します。

20年も前の話をここであえて取り上げるのは、中村雅治・上智大学名誉教授(上智大学フランス語学科同窓会会報編集人)に個人的な恨みつらみがあるわけでもなく、単純な人格批判をしたいのではありません。彼がしたように、本人のいないところで陰口を叩いても詮無い話ですから。
それでも本稿でこの挿話を紹介したのは、僕や仲間たちが、上智大学フランス語学科同窓会のお歴々との間で体験した事柄に通じる、学ぶべき教訓があると信じるからです。

ひとつは、どうしようもないオッサンは、自分がそう思いこんだら平気で決めつけて、ろくな検証もせずに平気で言い触らす生き物だということ。
「若い同僚の教員はやる気がないからゼミをやらない」のかどうか、僕はあの当日に確かめて、本人たちはいずれも否定しました。
すなわち「やる気がない」というのはあくまで中村雅治氏の個人的な印象や見解でしかなく、学生たちの前で断定形を用いる謂われはありません。
事実と意見を峻別するというのは、中村雅治氏が学者を名乗るのならば、とっくのとうに心得ていなければならないはずでしょうに……

自分の勝手な決めつけを、あたかも既成の事実であるかのように言い触らして本人は平気な顔をする奇妙な生き物という意味では、弁護士を通じた内容証明や、同窓会会報にわざわざ虚偽の事実を告知してはばからない風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長にも共通するものがあるとは言えないでしょうか。
とまれ、ベテランだから一般良識を持ち合わせている、などという期待を、この生き物たちにしてはいけないことは確かでしょう。

ふたつ目は、どうしようもないオッサンのやりたい放題を、周囲が止めることは極めて困難で、その結果としてその生き物は現実世界への対応がしにくくなるということ。
中村雅治氏が、あの場であんな発言に及ぶ必要はまったくなかったと思いますし、内心思っていたとしても、口に出さずにおけば何の波風も立つまいに……
フランス政治がご専門の中村雅治氏は、政治家の失言の歴史についても知悉されていておかしくなかろうに、ご自身のご発言が、まぎれもない失言であることを、果たして理解なさっているのかどうか……
もしかすると、ご本人は小さなジョークやユーモアを開陳したつもりだったのかもしれませんが、仮にウケ狙いだったのだとしても、その目論見がまったく当たらなかったことはここで繰り返す必要もないでしょう。
仮に、
「ボクが同僚をDisったなどというのは誤解だ! ボクの発言を誤解するほうがおかしい! その場でボクに文句を言わないのならボクの言い分を受け入れたのと同じだ!」
などと主張してみせたところで、不特定多数の学生を前に自ら誹謗中傷を撒き散らした事実が消えはしないということは、誰が見ても分かる話。

そして、その誰が見ても分かる話に無理筋のウソを通そうとしているのが風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長とその代理人・池田昭弁護士(第二東京弁護士会所属, 弁護士登録番号15626, 池田法律事務所, 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷1-8-6 宮益坂STビル9階, Tel: 03-3406-4947, Fax: 03-3406-4948)であり、小さな世界でだけ通じる論理で生きてきて、歳を取って肩書だけついてしまった内実の伴わない人物の大きさの限界でしかなく、その裸の王様を周囲の誰も諫められなくなったら一体どういうことになるのか、我々はこのちっちゃい生き物たちの態様から学ぶ必要があるということは言えそうです。

3つ目は、どうしようもないオッサンは、放っておけばますます増長してゆく、とても厄介な生き物だということ。
ゼミ説明会の冒頭にいきなり若い女性の同僚への蔑視をためらわず開陳したことについて、たまたま舌足らずな発言をしただけで聞き手が誤解した、等々の「見解の相違」に持ち込もうとすればそうできるのかもしれません。
ただし、この中村雅治氏その人が、数年前の期末試験で学生たちに教えてもいない問題を期末試験に出題してウヘウヘニヤついていたことを思い起こせば、それが偶然であったにしては随分同じようなことが同じ人物の口から出てきたことになりますが。
僕が何度も本稿で述べてきた通り、たまたま富士山に登る人間はいません。
中村雅治氏がこの手の発言を繰り返すのは、他人を見下したい意図があるから、とにかく俺はお前らより偉いんだぞという、通底した心根の発露に至った、と理解するほかないのではないでしょうか。
ほかに解釈があるのならば教えていただきたいものですが。

ただし、中村雅治氏の名誉のために付言しておくと、同氏の近著『国民国家フランスの変容』の掉尾に

「妻・明子に本書を捧げたい。(中略)まがりなりにも研究生活を続けてくることができたのは妻のおかげである。教員生活を終えようとしている今、本書を添えて感謝の気持ちを伝えたい」

とあります。
よって、少なくとも単純な女性蔑視主義者ではなく、ひとに感謝する心も持った人物らしいことは読み取れます。
なればこそなおのこと、同僚や学生を平気で見下して憚らない中村雅治氏の姿は奇異に映ってしまうのですが。

そしておしまいに、どうしようもないオッサンは、自分が年長者で経験が長いことそれ自体が偉いと思いこみがちな生き物だということ。
例えば、同い年の同期で同じ時期に修了したうえで自分が先に専任教員になれたというのならば、俺はお前より偉いということも出来るのかもしれませんが、ただ先に生まれただけで偉いなどと思い込むのは「お前の父ちゃん母ちゃんよりも、うちの方が先にセックスしたんだぞ」と威張ってみせるのに等しいと思うのですが。
年長者に必要なこととは、経験の乏しい人に自分の経験や教訓を分け与えて、後進の歩む未来への道をきれいにならしてあげることに存すると僕は思っているのですが(だからこそ、就職懇談会に2年連続して参加したり、自分の友達も誘って参加してもらったりしたわけですが)、老害と呼ばれる人種の多くは、そうする代わりに、なぜか未来ではなく過去を基軸に威張れると信じているように思えてしまいます。

以前、風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長が、同窓会にとってのご本尊である、フランス語学科の学科長自らの申し入れに対して
「問題は存在しない」
などと威張って対話を拒絶してみせた根拠は一体何なのでしょう。
生え抜きの学科長よりも自分の卒業が先だから、センパイだから、なのでしょうか。そうなのだとしたら、自分が早く生まれただけ、自分の親が先にエッチしただけで威張っていることになるのですが、それは威張れることなのでしょうか。
風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長は、なんでそんなに偉いんでしょうか。

進歩とは反省の厳しさに正比例する、というのは本田宗一郎の名言ですが、実際に自分たちが起こした問題から眼を背けたばかりか、弁護士歴40年超の大ベテラン法律家・池田昭弁護士(第二東京弁護士会所属, 弁護士登録番号15626, 池田法律事務所, 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷1-8-6 宮益坂STビル9階, Tel: 03-3406-4947, Fax: 03-3406-4948))まで起用して虚偽の事実を告知し、その虚偽を指摘されれば「議論は尽くした」とだんまりを決め込み、フランス語学科長に対して「問題は存在しない」と威張りさえする風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長らの言動は、ここで述べた、どうしようもないオッサンの振る舞いと軌を一にした増長っぷりを見せつけるのみでなく、彼らに反省という概念が存在しない以上、今後何の進歩も見込めないということにはならないでしょうか。

他方、僕や仲間たちが進歩を果たす為に厳しく反省すべきことがあるとすれば、どうしようもないオッサンたちの集まりでしかない同窓会組織を、まともな存在だと思って、一時的にせよ関わり合いになってしまったことと、これまでにも見てきたように、風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長、鍋島宣総・フランス語学科同窓会事務局長(日本コムジェスト株式会社 元代表取締役 [2015年5月22日解任])、山岸真太郎・フランス語学科同窓会副会長(株式会社ネクセス都市環境 代表取締役)、南舘英孝・上智大学名誉教授(フランス語学科同窓会 前会長)といったお歴々が、平気でうそをつく人たちだということを見抜けず、繰り出される虚言の数々を、少しでも信じてしまったことに尽きるのでしょう。

そして、僕がここまで長い間、本件にコミットし続けるのは、教訓として上述した通り、自分がそう思いこんだら平気で決めつけ、やりたい放題を誰も止められずますます増長する、どうしようもないオッサンたちが現在進行形で上智大学フランス語学科同窓会組織を牛耳っている事実と、僕がその生き物たちとの関わり合いで得られた体験や教訓をしっかりと残さないと、これから先、罪のない人たちが僕や仲間たちと同じような嫌な思いをさせられ、人生の貴重な時間を、どうしようもないオッサンたちの為に空費することになってしまいますから、そうならない為の手立てを、可能な限り実践することが自分の反省になると確信するからにほかなりません。

風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長、現在進行形で自分たちが行っている踏みにじりや虚偽の事実の告知について
「問題は存在しない」
と言い切っておられる以上、今後も風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長らは、在学生や出身学科の役に立とうと思う人たちの気持ちや時間や手間ヒマを、平気で踏みにじってはばからない、あまつさえ会報でうそを言い触らすことを問題にせずやり続ける虞れがあり、現実には問題はこれからも存在し続けるということを、何度でも指摘しておく必要があるでしょう。

実は、本稿を書き進める段階で、僕は周囲の知り合いの数名から
「同窓会の人たちだって悪気があったとは思えない」
「同窓会の人たちは良かれと思ってやったことではないか」
といった諫言を受けたことがありました。たしかに、ある一面においてそれらは事実かも知れません。

しかしながら、ここで中村雅治氏という、同窓会内部に今なお居座る人物の言動が十分に証してくれたように、悪気があろうとなかろうと、よかれと思っていようがいまいが、人を傷つけようが迷惑をかけようが平気な顔をしている人間というのは現実にいるし、他方、良かれと思って差別発言をする人間はいないし、悪気なく、教えてもいない内容を期末試験に出題する人間もいないというのもまた、事実の一面なのです。

ていうか、悪気がなくて良かれと思ってる同窓会のトップが、弁護士を使った内容証明に虚偽の事実を告知したり、一方的に「議論を尽くした」とだんまりを決め込んだり、「問題は存在しない」だなんて面談を拒否したりするものでしょうか。

いわゆる平和主義者の人たちはよく「話し合いをしましょう」と言うけれど、話し合いを求めている僕や仲間たちに対して、一貫して拒否しているのが風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長やその三下たちなのですが。

(つづく)

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