フランス語学科同窓会 上智大学フランス語学科同窓会問題(個人情報無断漏洩 及び 風間烈同窓会会長の虚偽対応)

上智大学フランス語学科同窓会による個人情報無断開示事件(20)

(承前)

2017年に入って、学科の教授から
「同窓会側から反応があり、一度私たちから直接お会いして伝えたい」
との連絡がありました。

単なる同窓会側からのメッセージならばメールでも良かろうに、と軽い不審を抱きつつも、再び四谷に向かいました。

果たして、先生方から告げられたのは、同窓会の回答は
「面談の必要はない。問題は存在しない」
というもので、
「同窓会の中でも議論があったようで、それで時間がかかったようで私たち(先生方)も回答を待たされた。私たちの力不足で申し訳ない」
と謝られてしまいました。

仲介による和解を夢見ていたであろう先生方にも悔しさがにじんでいて、また、とても申し訳なさそうにされていたので、僕からは
「分かりました。全く想定の範囲内でした」
と笑ってその場を収めました。ここまで尽力して下さり、メールで事務的に伝えるのがイヤだったので直接お会いしてお話ししたかったという先生方に感謝こそすれ、責め立てる理由もありませんでしたから。

それにしても「問題は存在しない」とは言いも言ったりで、自分たちの所業を丸々隠蔽するのにこれ以上の表現はないとはいえるでしょう。確かに、風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長が自らの姿を鏡に映さないことには、問題の根源が視界に入ることはないのかもしれません。

実際のところは、先に僕がシミュレーションしてみた通り、どんな言い訳を繰り出したところで、たちどころに虚偽や矛盾が噴出して論破されてしまうのがオチで、更には、学科の教授立ち会いの下で面談などしてしまったら、当人を眼の前にして
「当会は水野信隆氏らの個人情報を■■教授に提供したことはありません」
などという真っ赤なうそを咎められ大恥をかくのが火を見るよりも明らかなわけで、フランス語学科が差し伸べた歩み寄りの提案も、風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長にしてみれば、到底受け入れられるものではなかった、ということは想像できます。

言い方を変えれば、
「当会は水野信隆氏らの個人情報を■■教授に提供したことはありません」
との主張に絶対の自信と確たる証拠を持っているのならば、全当事者が一同に会した場で、問題が存在しないことを完璧に説明し、僕や仲間たちをやすやす論破することが出来るのに、それをわざわざ避ける理由がどこにあるのか、ということです。
後ろめたいことが何もなければ、問題が存在しようがしまいが、会って話すことに何の問題もないはずなのですが。

こうして考えてみると、風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長がのたまう
「問題は存在しない」
との科白はその強気さとは裏腹に、触れた途端に瓦解してしまう虚偽の存在を自ら証してしまっていて、うそが白日の下に晒されることにひたすら怯えてビクビクしている小心者の実の姿を映し出しているように、僕には思えました。

そして振り返ってみると、山岸真太郎・上智大学フランス語学科同窓会副会長のおっしゃっていた
「現状がこれ以上続くことを望んでおらず、この機会を好機と捉えている」
なるお言葉はいったい何だったのでしょう。
自分の願望を口にすればそれがもう現実になったかのように錯覚して自分に酔ってしまう、ある種の妄想性障害なのでしょうか…

仲介の労を取ろうと努めた人について殊更害意をもって捉えることをしたくはないのですが、以前も述べた通り、
「もしよろしければ、来年役員の改選がございますので、ぜひメンバーに加わっていただき、議論を進めてまいりませんか? 水野さんの情熱はメンバーに伝わると思います」
と自ら誘っておいてあとは知らんぷりでシカト、という実績をお持ちの方であることを僕は忘れていませんので、それと同じことを学科の教授にもやっただけ、バカの一つ覚えが遺憾なく披瀝されただけと分かってしまえば、やられた側としては鼻白むほかありません。

いずれにせよ、僕が予想していたように、同窓会の本質とは偉大なる首領さまたる風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長以外の誰が何を言っても無駄であるということに、学科の先生方も、遅まきながら十分思い知らされたのではないかと思います。

一般的には、同窓会組織というのは出身学科と協調して、学科の言いつけには従うものだと思います。大学組織に協力しその役に立っているという名目があって初めてレジティマシー、すなわち学科の名前を冠して活動する正当性が得られることは論を挨ちません。にもかかわらず、風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長がフランス語学科長の申し出をにべもなく拒絶する、拒絶できてしまうというのは傍目にはきわめて奇怪で不気味という気がします。

学科長の申し出さえ一蹴してはばからないモンスターは、いったい誰が育ててしまったのでしょうか。長らく同窓会活動をしていると、学科の言うことに耳を傾けなくて良くなる特権が備わるようなルールでもあるのでしょうか。

ともあれ、いくらでも引き返すチャンスがあり、まして、同窓会の虚偽の主張の槍玉に挙げられた被害者でもあるフランス語学科が救いの手を差し伸べたにもかかわらず、風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長は、問題が存在しないと言い張り、今起きている現実を隠蔽する道を強行することになさったようです。

先に例として挙げた、山一證券も東芝も、簿外債務や減損すべき資産を、どこかのタイミングで正直に発表して、一時の恥や痛みを受け入れていたならば、会社をあそこまでズタズタにすることはなかっただろうと思います。しかしながら、歴代の経営陣は問題をなかったことにして、頬かむりをし続けた末に、現在我々が知っている、多くの罪のない従業員を路頭に迷わせる破滅を導いたと言えます。東芝はまだ潰れてこそいませんが、今の会社の体たらくでなお「俺らは名門なんだぞ一流なんだぞ」と威張ってみせても、周囲から嘲笑されるだけでしょう。長年の伝統があろうが、かつて名声を得たことがあろうが、平気でうそをついて世間様を騙すような人たちは、ほんの一瞬で全てを失うことになることを、我々は現在進行形で知っています。

傍から見れば、一体何の為にそんなインチキやズルをして、何を守りたかったんだろう、なんてバカなことに労力を費やしていたんだろうと思えるかも知れません。しかしながら、組織を率いる人種の中には、プライドなのか名誉なのか地位なのか、得体の知れないものになぜか固執して、無理が無理でも自分は悪くないと言い張る輩がいて、組織を破滅に導いてゆくことが間々あります。それは風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長ひとりに限った話では決してないということを、我々ひとりひとりが認識する必要があると考えます。

僕が本稿で、日本を代表する大企業だった組織をわざわざ引き合いに出すのは、罪のない多くの人たちが害を蒙る前に、見て見ぬふりをする組織がもたらす事態の深刻さを認識して、この先に起きる不幸を食い止めなければならない、と確信するからにほかなりません。

(つづく)

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